髙松ファイブアローズ 問雅臣選手
【高松ファイブアローズ 問雅臣選手】
弊社がウェアサプライヤーをしている高松ファイブアローズの選手を紹介します。
今回、会社員からプロ選手への転向をし、プロの舞台でコツコツとスタッツを残
されている問雅臣選手です。
関西の大学リーグで数々の実績を残し、実業団リーグで競技中に数々の大怪我に
見舞われますが、プロ選手への道を諦めずに競技に復帰。見事、プロ契約を勝ち
取って現在に至ります。
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バスケットを始めた経緯
◇バスケットを始めた経緯。御出身地である鳥取県での戦績など。
その時、将来のバスケットキャリアについてどのように考えてい
ましたでしょうか?
姉の影響でバスケットボールを始めました。鳥取県内では小学6年 県2位。中学3年
時、 県ベスト4。倉吉北高校に進学し、高校2年時、 県1位でIHに出場しました。
当時は、将来のバスケットボールキャリアについて明確なものは特に無く、もっと
バスケットが上手になりたいという一心でした。その時、たまたま関西の強豪校、
近畿大学から誘いがある。今までやっていた環境とは違い、レベルが上がるので
やっていけるか不安だったが、行くからにはスタメンになり、チームを大学の頂
点に連れて行くという気持ちで、入学を決心しました。
◇関西地区の強豪である近畿大学では、どのよう戦績を残されましたか?
大学1、2年次には関西新人戦2位。大学4年時には、全関西大会で優勝。優秀選手
賞にも選出して頂きました。また、関西1部リーグ戦で優勝。最優秀選手賞にも
選んで頂きました。
◇その後、全日本総合選手権などにも出場するタツタ電線へと就職されます。タ
ツタ電線では何シーズンを凄し、プロキャリアを決意した経緯やきっかけについ
てご教示下さい。
タツタ電線では4シーズンを過ごしました。プロのキャリアへと決断した経緯
は、大学卒業前に、bjなど上のリーグでのプレーを望んでいた一方、夏に大学
のコーチの紹介を受け、タツタ電線関連会社への内定をもらっていたという事
実があります。
悩んだ末、会社へ就職をしたが、ずっとbjへの憧れがあった。入社当初は「な
ぜbjへ挑戦しなかったのだろう?」と後悔が続き、全く仕事が手につかない時
期がありました。
しかし、すぐ会社を辞めるのは、何て表現すれば良いのか分かりませんが、社
会から逃げる気がして、私自身嫌だった。そのため、3年間社会人を経験して
も、まだbjへの憧れがあるなら、その時もう一度挑戦しよう。
その間は、仕事に専念し、一社会人として会社の皆から認められるまで成長し
ようと考えました。それまでに、bjへの気持ちが薄れるならそれまでの思い
だったんだと考えるようにしていた。
bjリーグへの挑戦
◇bjリーグへの憧れや強い想いを抱きつつも、気持ちの整理を付けて、仕事
と競技の両立に励まれていたんですね?
はい。しかし、2シーズン目のオールジャパン後の全国実業団にて前十字靭帯
を断裂する。約一年かけ復帰したが、次は肩を脱臼して、再度約一年のリハ
ビリを行い、4シーズン目の秋頃に復帰する。リハビリの間、復帰した直後
は、本当にどうするのか悩み、bj挑戦への気持ちが薄れていく時もあった。
しかし、こころの片隅にモヤモヤした気持ちが残っており、いつバスケット
が出来なくなるような大怪我をするか分からない。歩けなくなるか分からな
い。挑戦しないで終わるのであれば、一生後悔するだろうと思い、bj挑戦を
決意しました。
受からなかった時の言い訳にしたくなかったのと、全力で挑戦したかったの
で、4シーズン目の3月に仕事を辞め、約3~4ヶ月トレーニングを積み、トラ
イアウトを受けました。
◇関西実業団連盟は、年間でどのようなシーズンを過ごされるのでしょうか??
6月頃から大阪実業団トーナメント、7月から9月頃で大阪総合。近畿実業団。9
月頃 実業団JIC、10月頃 近畿総合。近畿実業団。10月から12月頃に大阪実業団
リーグ戦、2月頃 に全国実業団という日程です。
◇実業団リーグについても、非常にタイトな日程で試合が組まれておりますね。
また、仕事と、年間で試合が組まれている過密日程の中でどのようにパフォーマ
ンスを高めていってきたのでしょうか。また、何を学ばれましたか?
一つは自己管理です。実業団時代、仕事を定時までし、その後練習や試合など
に行っていました。そのため、残業があれば練習に行けない事も多々ある。そ
んな中、試合もこなしていかなければならないので、練習に行けない日は帰って
筋トレや走りに行ったり等して、身体の維持に努めていた。仕事を言い訳にしな
いよう自己管理をして、練習や試合に挑んでいた。
二つ目は技術です。全国大会では、大学時代に名が知れた人達がいる為、対戦す
る事により技術を学べた。また、同じチームにも、元bj選手や大学時代関西選抜
の方がいて色々アドバイスをもらい成長する事が出来た。
三つ目はありがたみを学びました。
タツタ電線は、会社に体育館もあったし、会社全体で応援してくれていたので、
すごく支援をしてもらっていた。当たり前のように私達はプレーしていたけど、
凄く感謝しなければいけない事だったんだと感じる。
そして、最後、4つ目に折れない心を学びました。約2年間怪我してバスケット
がほとんど出来ない時期があったが、目標に向け頑張る事が出来た。
プロ選手としてのキャリア
◇その後、プロチームのキャリアを昨年から掴みました。が、実際は、シーズ
ンを通じて87分の出場に留まりました。プロになる為の準備と、プロで活躍
する為の準備には、当初の計画や予定と照らし合わせますと、ギャップという
のはあったのでしょうか?
プロになる為の準備としては、あれもこれも習得しなければと思い、今まで
やってきたプレースタイルを忘れ、ガムシャラに練習をしていた気がする。
私の武器は何で、どのようなプレーヤーになるのかを考えずにやってしまって
いた。
しかし、1年間プロで活躍している選手を見てきて感じた事は、皆それぞれ
誰にも負けない武器を持っているという事だと思う。あとは、ゲームでのシ
チュエーションを考えながら、自分の武器をどの様に生かすかを常に考え
て、ゲームライクで練習していた。
そういう所を実際の目で見たり、色々な方からアドバイスをもらい、私は
何を武器にして、ここまでやってきたのだろう?私の武器をゲームで生か
す為には、どの様に練習したら良いのだろう?と、考えるようになった。
◇どのようなレベルに達する事が出来れば、プロの舞台で活躍できるとお
考えですか?
私の武器が他の選手を上回れば、プロで活躍出来るのではと思う。私のプ
レースタイルは、簡単に言うと下記の通りになる。オフェンスではスク
リーンをかけたり、カットインからアシストのパスを出したり等、味方
を生かすプレー。ファーストブレイクの先頭を走り、得点のチャンスを
作る。DFでは相手のキーマンを抑える。常に声を出し、チームのムード
を盛り上げる、という事です。
◇何処に差があると感じ、現在は、今季のどのような目標に向けて、何
を重点的に練習されていますでしょうか?
何処に差があるのかと言われれば、やはり自分の武器が他の選手より弱
いという事だと思います。何を重点的に練習しているのかに対しては、
プレースタイルの精度を上げるのはもちろんですが、私のプレースタイ
ルを生かすにはどの様にしたら良いのかを考えて練習しています。
例えば、オフェンスでは、味方を生かすプレーをするには、まず私自身
が攻め気・シュートを打つ気が無ければ、捨てられてしまう。攻めても
点シュートが入らなければ意味がない。
なので、ゲームでのシチュエーションを考えながらシュートを確実に決
めれるように練習している。ディフェンスではゲームになれば、1on1だ
けでなく、それに他の選手のスクリーンなどが出てくる。そのスクリー
ンをかわすためにはどうすれば良いのか?等、常に考えながら練習を
行っている。
◇そのような積み重ねで迎える今シーズン、問選手の活躍を応援してい
ます。今期のチームでの目標と個人の目標については、どのように設定
されていますでしょうか。
チームの目標は、優勝!個人の目標は、まずは、大きな怪我をすること
無く、1シーズン過ごすこと。その中でプレータイムを伸ばし、試合メ
ンバーのローテーションに入る事。どんな形でも良いので、チームに
貢献する事です。
問選手のその他の写真については弊社Facebookページをご参照ください。
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問雅臣(トイ マサオミ)
1985年9月21日生まれ。182センチ/77キロ。鳥取県出身。米子市立東山
中学校~倉吉北高校~近畿大学~タツタ電線。近畿大学時代は、関西
一部リーグで最優秀選手賞も獲得。