小室亜希×UPSET
【小室亜希×UPSET】
元バレーボール日本代表の朝日健太郎や菅山かおるの転向なども
あり、ここ数年で一気に注目度や世間での認知度が高まっている
ビーチバレー。元々の競技者と、バレーボールの競技転向者が五
輪を目指し切磋琢磨していると思われがちだが、それだけではない。
2012年、ビーチフラッグの日本選手権入賞者が、満を持してビーチ
バレーに転向。名前は小室亜希。現在、日の丸を目指して戦いを続
けている。
リオ五輪でのビーチバレー日本代表を目指す小室亜希の競技歴は異色
である。直近の競技は、ビーチフラッグの日本選手権シードホルダー。
過去には全日本学生選手権で優勝、全日本ライフセービング種目別選
手権大会ビーチフラッグスで準優勝、同ビーチスプリントでも銀メダ
ルにも輝いた実績を持つ。
2012年、30歳を迎えた彼女がビーチバレーに転向し、そして日本代表、
五輪でのメダル獲得を目指すには理由がある。
「両親がずっとやってきたバレーボール。それを最後のスポーツとして
私がやり、私の姿を見てもらいたいという気持ちがあります。そして、
スポーツ選手としてやるからにはどんなことでもトップを目指すことが
大切であると思っています」
彼女が『最後のスポーツ』と語るのには、これまでの様々な競技遍歴に
由来する。
幼少期、高校のバレーボール部で顧問をしていた父親に付いて回るよう
にして、バレーボールと身近な生活を送る。ただ、身近なだけではなく、
球拾いに始まり、練習用のコーンの代わりになるなどをして、より競技
に近い形でバレーボールに携わりながら時を重ねる。バレーボールだけ
に飽き足らず、野球・新体操・器械体操・バスケットボールと数々の競
技を重ね、好成績を残す。
その中でも、大好きな競技はバレーボールであった。「バレーが大好き
な両親」と本人も語るよう、前述のような幼少期からの経験も重ねると
自然な流れである。だが、考え得る限り、あらゆる領域の競技を経験し
たのち、本格的に競技を始める中学校の際に選択をした競技はバスケット
ボールであった。
「バレーボールではなくバスケットボール部に入り、脚力、スピード、持
久力をつけなさい。」という父親の助言の元、バレーボールへの転向も視
野に入れて自分自身で競技を選択。元々、練習を重ね、高校では、バス
ケットボール部で、1年生からレギュラーになり試合に出場。
県大会では2位、関東大会、インターハイに出場するなど好成績を収める。
だが、順調なバスケットボールでの戦績が災いし、そのため、バレーボール
に転向をするタイミングを逸する。勿論、運動をする事は大好きで、情熱を
もってバスケットに励んでいたが、バレーボールへの思いは褪せる事は無
かった。
その後、意を決してバレーボールへの転向を決意するが、通学していた学校
はバレーボール部も全国大会に出場する名門。高校2年のタイミングで転向
する夢は叶わず、一度はバレーボールを諦める。
-ビーチフラッグとの出会い
ここで、一度はバレーボールとの関係は途絶えたに見えたが、プールの監視
員のバイトを通じてライフセーバーを始め、その延長でビーチフラッグに出
会う。その出会いが転機となった。
ビーチの上で練習をしている先輩の姿を見つけるが、はじめは何の競技かも
分からない。ふとした疑問を解消する為に、様子を伺うだけのつもりが、ア
スリートとしての本能が疼いたのか、いつの間にか練習に参加するようにな
る。その後、その競技がビーチフラッグである事を知り、鍛錬を重ねる。
「その先輩に多くの技術を教わったおかげで」と本人は語るが、ビーチフ
ラッグ選手としても頭角を現す。初めて出場した全日本選手権大会で銅メ
ダルという偉業を達成する。
父親の助言で本格的に始めたバスケットボール。バレーボールへの想いに
揺れながらも真剣に続けてきたバスケットを通じて鍛えた脚力は、ビーチ
フラッグで生かされるようになる。
全日本選手権では、その後も好成績を収め続け、競技を止めるまで、シード
権を確保し続けた。
また、同時にライフセーバーとしての活動も続け、資格を取得。夏の間は、
海辺の監視員として市民の安全を守る日々が続いた。
-バレーボールとの再会
ビーチフラッグとライフセーバーという忙しい日々を過ごす彼女の眼に、同
じくビーチを生業とするビーチバレーの選手の姿が目に留まる事が多くなった。
元々、バレーボールを本格的に取り組む予定であったが、様々なタイミングが
合わずに諦めたバレーボールである。ビーチフラッグとライフセーバーの活動
を13年間続けた後、彼女はビーチフラッグへの転向を決意する。
13年間続け、多くの仲間、そして、自分が愛したビーチで遊ぶ市民の安全を守
るという使命感もあり、充実した日々を過ごした13年間であったが、胸の奥に
抱き続けてきた想いが彼女を突き動かす。
それは、幼少の頃から大好きなスポーツを支えたくれた両親に、もう一度自分
の姿を見てもらいたいという想いである。
「小さい頃、様々な競技を行っていました。そして、いつも両親が試合の応援
に来てくれました。しかし、大人になり応援にくることが無くなりました。そ
こで、もう一度両親に私が頑張っている姿を見てもらいたいと強く想うように
なりました。子供の頃から今までスポーツに関して本当にお世話になってき
て、そのお返しがしたい」
競技者としての自分のキャリア、そして、もう一度、両親に自分の活躍する姿
を見てもらいたいと考えた時、彼女が、胸の中に眠らせていた考えを実行する
事を決断する。
-ビーチバレーへの転向。
「私の夢は、最後のアスリートとして日の丸をつけ世界に出て、その自分が頑
張っている姿を両親に見てもらう事です。父親がずっとやってきたバレーボール。
両親が大好きなバレーボールを私がやっているところを見てもらいたいのです。
そう思って私が大好きな、両親が大好きなバレーボールをやろうと決めました。」
自分の年齢と身体を考え、節目の年でもあり、身体がまだまだ動く年齢である30歳
になるとビーチバレーへの転向を表明。ビーチフラッグで鍛えたスピードは、他の
ビーチバレー選手にはない、小室の武器である。
幼少期より、誰よりもバレーボールに親しみ、誰よりもバレーボールを愛したが、
タイミングの巡り合わせでバレーボールに縁がなかった異色のアスリートの、新し
い挑戦である。昨年度、サテライトリーグで経験を積んだ。目標である日本代表に
向け、現在はトレーニングと並行し、スケジュールや参戦大会の選定などで入念な
準備を積み重ねている。
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日本ビーチバレー協会
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