埼玉ブロンコス 三澤貴弘
【埼玉ブロンコス 三澤貴弘選手】
埼玉ブロンコス選手紹介第2弾。PGとして石井秀生選手と共にチームを牽引する三澤貴弘選手です。
新潟アルビレックスより移籍して今季より埼玉ブロンコスに加入。
シーズン開幕8ゲーム目から7試合連続でスタートとして出場。平均出場時間約20分、4.4得点、2.5
アシストを挙げています。強靭な身体や正確なミドルシュート、そして堅実なディフェンスを特徴
とする選手です。
学生時代は名門の東海大学第四高校から東海大学に進学。下級生時代から将来を嘱望されていました
が、最終学年シーズンでまさかのベンチメンバー漏れを経験。それでも、バスケットへの情熱は失わ
ず、海外リーグへと挑戦します。現在、bjリーグ他球団の練習生を経て、プロ選手として活躍中です。
三澤貴弘選手へのインタビュー
海外への挑戦について
◇三澤選手は北海道のご出身という事ですが、地域はどちらです
か?
北海道江別市出身です。札幌の隣になります。石橋ヘッドコーチも同じく北海道出身なのですが、石
橋ヘッドコーチの出身の石狩とも近いです。石橋ヘッドコーチが北海道のチームでプレイしていたと
きのチームメイトが自分のミニバスの指導者でした。
◇東海大学時代には下級生から期待されながらも、4年時にメンバー登録から漏れる、という経験をさ
れたという報道を拝見しました。そのような過酷な状況下、卒業後もバスケットボールを鍛錬し、高い
フィールドへ挑戦しようと考えた理由や経緯など。
一番はバスケットが好きというのもあるし、負けたくないというか、自分の限界、自分がどこまで通用
するのか、自分の力を試したいという気持ちがありました。やっぱり負けたくなかったんです。
◇卒業後、米国への挑戦で学んだ事について。
大学を卒業したらbjリーグでプレイしたいと思っていまいたが、トライアウトの経験がなく、どんなもの
かなと思っていたときにちょうど静岡GYMRATSのトライアウトがあるというのを聞いて。アメリカのチームということにも興味が湧いて、とりあえず受けてみようと思ったんです。
それで「やるなら来ていいよ」という感じでチームに入ることになり、そのときはまだ大学4年で卒業前で
したが2月から1か月半くらいアメリカでプレイしました。卒業した後にbjのトライアウトを受けて富山の練
習生になりましたがそれは2週間もないくらい、短かったです。
GYMRATSで1か月半やらせてもらったときは、肉離れになってしまい思いっきりできなかったので、もう1年やってみたいなと思いもう一度挑戦しました。そのときは11月から3月と1シーズン丸々行かせてもらいました。
アメリカでプレイを経験できたということもそうですけど、チームメイトからバスケの奥深さやポイント
ガードとしての在り方、個人スキルなど色々と学びました。
ポイントガードとしての戦い方など
◇ご自身のプレイについて、ストロングポイントについて
ディフェンスです。
◇今期の目標や、現在のスタッツ、内容についての自己評価など
今シーズンの目標は、チームとしてはもちろんプレイオフ進出。個人としては、スタッツを残すこともそうだと思いますが、チームを勝たせられるかどうか、やっぱりそこがポイントガードへの評価だと思います。
ポイントガードは勝たせるということが求められます。自分が30点、40点取ったとしてもチームを勝たせられなければ意味がない。
現在2勝しかしていないので、いい状況とは言えないですね。一桁の点差で負けることも何度もあったので、そういうゲームを勝てるように、勝負どころで確実に点を取れるようなフォーメーションだったり、プレイを選択していかないといけないと思います。
◇国内外でバスケットボールを職業とする選手と切磋琢磨し合う中でプロのバスケットボール選手はどのような存在であるべきであると考えていらっしゃりますか?
常に向上心を持ち続けること。貪欲に。勝つことについて貪欲にやっていきたいです。それがプロだと思います。
cHiROKO WATANABe / SAITAMA BRONCOS / bj-league
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三澤貴弘(ミサワ タカヒロ)
1988年5月22日
北海道出身。
東海大学第四高校、東海大学を経て、米国独立リーグABAに参戦する静岡GYMRATSに加入。富山グラウジーズの練習生
を経て、新潟アルビレックスに加入。今期より埼玉ブロンコスに移籍。