埼玉ブロンコス 佐々木優希選手
【埼玉ブロンコス選手紹介 -3- 】
オフィシャルウェアサプライヤー契約中の埼玉ブロンコスについて、同チームの応援番組を放映中の「J:COMチャンネル ブロンコスBEAT!!!インタビュアー番組MC 滝沢ななえ」との連携企画として、過去の放送分より埼玉ブロンコスの選手紹介を行います。
第3弾は佐々木優希選手です。
J:COMチャンネル ブロンコスBEAT!!!内、佐々木優希選手のインタビューより抜粋
(interviewer 滝沢ななえ)
――ご出身や、バスケットボールを始めた経緯について
神奈川県川崎市の出身です。バスケットボールを始めたのは小学校5年生から。家族がバスケ一家(※注1)だったので、その影響でバスケットを始めました。中学までは川崎で、高校から秋田県の能代工業へ進学しました。
※注1
兄はbjリーグ東京アパッチでプレイ。姉はWJBLのJALでプレーしていた。
――どのような高校生活でしたか?能代工業高校は伝統のあるチームな
ので、部則なども厳しかったのでしょうか?
バスケットボール三昧な生活でした。朝も練習、夕方も練習して、御飯を食べて、寝て、起きたらまた練習、、というようなサイクルです。休みの日は、朝から夕方まで練習して、ご飯を食べて、寝たら、また練習という感覚です。部の規則は本当にたくさんあって挙げたらキリが無いですね(笑)。
例えば、3点セットと言われる「生徒手帳、ハンカチ、ティッシュを常に持っていなければいけない」、「1年生は3年生に話し掛けてはいけない。話し掛けられて、はじめて話をしても良い」などがあります。
――高校を卒業後、大学へ進学をしたのは?
高校時代からbjリーグは知っていて、挑戦したい気持ちはありました。ですが、大学バスケの中で、当たりが強い選手と対戦したり、(学生選手の中にも)上には上がいる事を知ってから挑戦しても遅くないんじゃない
かと思い、先輩のアドバイスもあって、法政大学に進学しました。
――ブロンコスが強くなるためには?
自信を持ってプレーをする事が大事だと思います。コーチからも言われていますが、一つ一つのリバウンド、ルーズボール、一つのカットインに全力で取り組み、力を出し切る事。悔いのないプレーをする事です。
――信平から佐々木に名前が変わりましたが?詳しい事情を伺っても良いで
しょうか?
本当は去年から変わっていました。自分としては早めに発表をしたかったのですが、シーズン途中というタイミングもあり、今年の発表となりました。
簡単にいうと、結婚をして婿入りをしたため、名字が変わりました。元々、信平と言う珍しい苗字だったので驚かれるケースも多かったですが、自分としては慣れまして、普通です(笑)。
コートネームがあり、それはNOBUという名前のままですので、ノブでも、信平でも、佐々木でも、優希でも、なんでも、気軽に声を掛けて頂ければと思います。
――ブースターの方へメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。チームが変わったなと思って頂けるよう、毎試合、全力で頑張ります!
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佐々木優希(ササキユウキ)
1987年4月23日生まれ。神奈川県川崎市出身。
川崎市立中野島中学校~能代工業~法政大学~秋田ノーザンハピネッツ~埼玉ブロンコス
秋田県立能代工業高校時代は1年生の頃より主力として活躍。2003年、04年の選抜大会では2年連続の優勝とベスト5を受賞。法政大学時代は、2007年の下級生時にインカレ準優勝に主力として貢献。08年、09年はベスト16へ進出。
卒業後、秋田ノーザンハピネッツに入団し、2011-12シーズンは340分に出場。56得点を挙げる。埼玉ブロンコスに移籍後は、2012-13シーズンで1104分出場330得点、13-14シーズンは950分に出場し255得点を挙げる活躍。
今シーズンも2/19時点で714分に出場、168得点を挙げ、主力選手の一人として奮闘している。
過去のインタビュー記事など
埼玉ブロンコス内の掲載記事
大学時代の掲載記事