埼玉ブロンコス 原穀人選手

 
【埼玉ブロンコス選手紹介 -5- 】
 
オフィシャルウェアサプライヤー契約中の埼玉ブロンコスについて、同チームの応援番組を放映
中の「J:COMチャンネル ブロンコスBEAT!!!インタビュアー番組MC 滝沢ななえ」との連携企画
として、過去の放送分より埼玉ブロンコスの選手紹介を行っています。
 
 
第5弾は原穀人選手です。
 
 
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J:COMチャンネル ブロンコスBEAT!!!内、原穀人選手のインタビューより抜粋
(interviewer 滝沢ななえ)
 
 
 
 
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–ご出身や、バスケットボールを始めた経緯など
 
神奈川県横浜市の出身です。小学校3年生の頃、バスケットボールかサッカーをやるのかを小学校で
選ぶという慣例がありまして、僕の場合は、親がバスケットボールを選びました。いや、選んでくれました。
 
周りは、皆、サッカーをやっていましたね
 
–その後、東海大相模高校でIHに出場されますが、厳しい学校だったんですか?
部則などはありましたか?
 
ひたすら練習をする、、という全国各地にあるような厳しいチームでした。
部則ですか? そうですね、2年生、3年生と、それぞれに部室がありましたね。
たまに2年生の部屋とか、3年生の部屋とかに呼び出されたりして、、というのが
あって、怖かったですね(笑)。
 
–大学卒業後、渡米されていますが?
 
ハイ、アメリカの大学(ワシントン州立大学)バスケットボール部でマネージャーをやらせて
頂いていました。アメリカはスポーツが凄く盛んで、将来、プロスポーツチームの中などで
働きたいという想いがあったので、マネージャーとして経験を積むとステップアップになる
かなと思いました。当時は英語も出来なかった為、大変でした。
 
※米国独立リーグIBLに参戦時、地元のメディアからの取材には英語で対応している。
 
–その後、帰国されてからは選手へ復帰されましたが、その理由は?
 
ワシントン州立大学の中で、NBAへ行く選手などを見ていると、自分もまだまだ選手として
やりたいという気持ちが高まってきたのが理由です。
 
 
–チームから求められている事は何でしょうか?
 
練習からボールに喰らいつく気持ち。ディフェンスで流れを変える、という部分です。
チームは連敗中ですが、雰囲気は良いです。チーム内の競争も高まってきています。
 
自分自身、中堅としてチームを引っ張って行けるように努力したいです。
それは、ゲームだけではなく練習でも同様です。
 
これまで(思うような結果を残せなかった)ブロンコスを変える位の、強い気持ちを持って頑張ります!
 
 
 
 
 
当時のワシントン州立大学(WSU)には、アメリカ代表とゴールデンステイトウォーリアーズの得点源とし
て大活躍中のKlay Thompson(クレイ・トンプソン)選手も在籍。PAC12(当時はPAC10に所属。
 
同カンファレンスには、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)やスタンフォード大学など著名な
大学が名を連ねる。
 
原選手が帯同した2011-12年シーズンは、惜しくもNCAAトーナメントへの進出を逃すものの、NIT (Nati
onal Invitation Tournament)に出場し準決勝まで進出。
 
これは、NCAAトーナメント進出を逃したチームの中から、シーズンを通じて優秀な戦績を残したチームを
招待して、New YorkのMadison Square Garden(マディソンスクエアガーデン、New YorkKnicksの本拠
地)などでも試合が行われる非常に歴史のある大会である。勿論、原選手も、マネージャーとして現地の試
合にも帯同した。
 
原選手の言葉のとおり、アメリカのハイレベルな大学バスケットに触れる中で、選手としてのモチベーション
が再び湧きあがった経緯なども垣間見えるエピソードである。
 
(大学バスケットボールについて 協力 NCAAカレッジバスケット March Madness in Japan)
 
 
 
 
 
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原穀人(はらたかと)
1988年3月4日生まれ 神奈川県横浜市出身
 
東海大学相模高校3年次には2005年千葉インターハイに出場して2回戦に
進出(一回戦で新田高校(愛媛)に勝利し2回戦で延岡学園/宮崎に敗戦)。
 
東海大学バスケ部に進学し、在学中は神奈川県学生バスケットボール連盟内の
大会などで活躍。大学卒業後、一度は選手を引退し、プロスポーツビジネスの
現場で働くための足掛かりとしてワシントン州立大学バスケ部のマネージャー
職としてチームに帯同。
 
後にNBAなどへ進む選手らの活躍を目のあたりにする中で、再び選手としての強い
モチベーションが湧きあがり、選手復帰。ストリートバスケットボールリーグなど
で活躍する中で、2013年夏に米国独立リーグIBLに参戦。帰国後、bjリーグ青森
ワッツにドラフト指名されるも、シーズン序盤で半月板を損傷する怪我に見舞われ、
リーグを通じて72分出場、16点に終わる。
 
今期より埼玉ブロンコスへ移籍し、チームの主力選手の一人として活躍。8ゲームで
スタメンに名を連ね、現在までに31ゲームで380分(12分平均)の出場、100得点(3.4点
平均)を挙げている。
 
米国独立リーグIBL参戦時には、得点も出来るPGとして、現在、NBDL山形ワイヴァンズで
活躍する佐々木選手とともに現地でも高い評価を受けた。
 
 
 
 
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