上田雅也選手(埼玉ブロンコス) TTC 2016 Supported by UPSET 参加選手より
【TTC 2016 Supported by UPSET】
TTC 2016 Supported by UPSET参加選手
上田雅也選手
1993年生まれ
山口県周南市出身
177センチ/70キロ
埼玉ブロンコス
※所属は15-16シーズン
TKbjリーグ最後の新人王
2016年2月にアーリーエントリーすると、エントリー20試合中18試合でスタメン出場、552分出
場(平均27.6分)で平均7.7得点、また富山、仙台などの強豪チーム相手に計6回の二桁得点
をマークし、攻撃の軸として存在感を見せた(選考理由より引用)ことで、富樫勇樹(千葉JETS)、
岸本隆一(琉球ゴールデンキングス)、相馬卓弥(大阪エヴェッサ)選手に続いて新人王を受賞し
た。
▼地元で開催された国体(2011年山口国体)で主将を務める
山口県周南市出身の上田は、ミニバスで競技を始める。またミニバス以外のクラブチームでは指
導者でもある父親に「特にシュートについては丁寧に、厳しく」指導を受け、プロの舞台でも武器と
なるシュート力の基礎を身に付ける。
宇部工業高校に進学後、2009年新潟国体、2010年千葉国体と下級生時にも県代表メンバーに
選出され、3年次には主将にも選出。地元国体を控える山口県にとって、早くから期待を集めた選
手であることが伺えるエピソードでる。
「運良く、自分が高校3年の時に山口国体があるという事で、中学生の時から目標にしていました。
山口国体で主将を務め、(福井県代表に敗退し)そこで結果を出すことは出来ませんでしたが、と
ても良い経験になりました。大学・プロに挑戦する中で、山口県で多くの方々が応援してくださり、
僕の支えになっています。僕にとって山口県は故郷であり僕の原点です」
本人にとっても、生まれ育った山口県の代表選手として、地元で開催される国体は大きな経験に
なったようだ。国体後は、宇部工業高校をチーム初となるウィンターカップ出場の舞台で戦い、高
校バスケットを終え、立命館大学へ進学する。
▼立命館大学へ進学、成年男子代表選手として活躍
立命館大学に進学後は、1、3回生時に3P王を受賞。1年次にはインカレ出場も果たす。また、大
学での活動と同時に、山口県成年男子の若手選手として2012年東京国体、2013年長崎国体(5
位入賞)にも出場。2、3、4年次のインカレ出場は敵わなかったものの、立命館大学の主将として関
西学生リーグで活躍し、プロチームで活躍する礎を身に着けた。
立命館大学バスケットボール部は、1946年に創設された歴史あるチームである。ちなみに、立命館
大学の大学名は『孟子』の「尽心章句」に由来し、立命館は「学問を通じて、自らの人生を切り拓く修
養の場」を意味しており、上記の哲学に基づいた価値観を立命館憲章として掲げている。
バスケットボール部も、立命館憲章に則る事を大前提としつつ、歴代のOBが築き上げてきた部活動
の理念が存在し、その教えが厳しく守られていた。一例では、学問との両立、社会の基準を守る意味
での『時間厳守』など厳しい指針で運営されていた。
「立命館大学バスケ部には部則をベースに一つの集団として活動をしています。規則の厳しさ、役職
の重要性、責任など、多くの事を学びました。分かりやすい例でいうと、時間を守る事は当たり前でし
た。時間を守れない選手は練習に参加する資格はなく、練習時間中に体育館の隅で立って見学をす
るという規則もありました。これはあくまでも一例ですが、歴代の伝統を継承し、社会の基準に沿って
ルールを作り、自分たちで決めた事を実行することで規律の重要性を学べました」
そのような厳しい環境に身を置き、大学に入学をしたシーズン、スターティングメンバーとしてフル出場
をした青山学院戦では、完敗に近い点差で敗退する。しかし、その後、大学バスケットボールで高みを
目指す中で、この時の青山学院戦が一つの基準になった。
「結果として、2、3、4年とインカレへの出場はかないませんでしたが、青山学院大学戦の敗退をネガ
ティブにとらえず、そこを目標設定にして練習に取り組んできました。全国での勝利を目指した取り組
んできた準備期間は、私にとって非常に貴重な時間でした」
▼山口県成年男子チームでの活動
また、もう一つ、大学時代の上田選手のエピソードとして欠かせないのが山口県国体チームでの活動であ
る。大学体育会の主力選手として国体チームの活動に参加することは、経験を積めるというメリットと共に、
怪我のリスク、所属チームとの両立などでデメリットもあるが、コーチと共に話し合いを重ね、声を掛けて頂
いた期待に応えるべく、また、お世話になった山口県の為に自分のできることで力になろうと決意。
当時の国体チームは宇部工業高校のOBを中心としたクラブチーム「宇部レジェンド」、「山口県教員団」を中
心に構成されるチームだった。幼いころに試合観戦などを通じて憧れていた選手も多く、同じコートで共に山
口県の代表チームとして戦う事にも特別な事であった。「財産以外の何物でもなく、多くの経験を積ませて頂
いて大変感謝している」と語る。
▼コミュニケーションの重要性を学ぶ
「特に、山口県成年男子チームは、コート内外でコミュニケーションスキルが盛んなチームであり、バスケット
ボールの行う上で非常に大切な要素である事を学んだ」という。
国体チームで「かつての憧れの選手」とチームを共にできたのは、カテゴリーを超えた多くの方と交流、試合
観戦をする山口県バスケットボールの環境があった事も大きい。
「山口県の、バスケは縦の仲が良く、大人と高校生、高校生と中学生、中学生とミニバスなどそれぞれのカテ
ゴリーの中でも仲が良いのですが、カテゴリーを超えて仲がいいのが特徴だと感じています。その交流のおか
げで、様々なプレーを学び発見出来ると思います。山口県バスケの強みはカテゴリーを超えて良い意味で仲
が良い、僕は山口県の良さを感じます。僕のバスケットを確立したのは、山口県の多くの指導者です。」
▼TKbjリーグ最終年のアーリーエントリー選手として
埼玉ブロンコスではPGとしての活躍が評価されて新人王に輝いた上田選手であるが、高校・大学時代は基本的
にはSGとしてプレーしてきた。ミニバスの指導者だった父親に厳しく指導されて培ったシュートには、こだわりや、
練習を積み重ねてきた自負もあり、PGとしてさらなる飛躍を目指すプロ選手としての現在でも「自分の武器」であ
ると語る。
TTC supported by UPSET では、PGに転向して日が浅いとは思えないほど、卓越したコミュニケーション、即席
チームの中で自然とボールが集まるハンドリング力、緩急を生かしたゲームコントロールと広い視野、シュート力を
生かしてプレーでプロ選手の確かな技術を大学生選手に見せつけた。
「PGとしての経験が浅い分、周りの選手と同じ成長スピードでは敵わないことは自覚しています。なので、人より
も練習することを心掛けています」 という言葉通り、即興チームの中で積極的にコミュニケーションを図り、確かな
技術とシュート力でプロチームを牽引し、TTCを通じた大学生選手とプロ選手の交流を深めた存在の一人である。
アーリーエントリーで経験を積み、2016-17年シーズンは、いよいよ本格的なプロ選手としてのキャリアを積む
シーズンとなる。成長速度を加速させるべく、人よりも練習することを課しているが、山口県に対する思いも強い。
「これからもっとバスケットを磨き、どのような形になるかはわかりませんがいつかは山口県に恩返ししたいと、
強く思ってます。そのためには今をしっかり大切にしていきたいです」
※所属チームなどはすべて2015-16年シーズン。
(文責:株式会社アップセット 片岡)